この男のコメディはかなりキツイぞ!


プレイメイト

PLAYBOYの最大の売り物で、雑誌のアイデンティティとも言われるのが、若い女性のヌードグラビアです。グラビアに採用されたモデルは「プレイメイト」と呼ばれて、パメラ・アンダーソンもこのグラビアに登場して名前を売りましたが、ヌードグラビアに出て登竜門に出世していくモデルも多くいます。

爆笑作品特集

プレイメイトへの道

『PLAYBOY』誌に関するモデルであっても表紙のモデルや一般のヌードモデル、インターネット版のモデルではプレイメイトではありません。

見開きページ・折込ページに「ミス○○月」として掲載されるモデルは『プレイメイト・オブ・ザ・マンス』(Playmate of the Month、略称PMOM)と呼ばれます。『プレイメイト・オブ・ザ・マンス』のグラビアには、その人物のヌード写真・見開きポスター・略歴に加えて、生年月日・身体サイズ・興奮する状況・白ける状況などといったことを記述した「プレイメイト・データシート」から構成されています。○

一年間に掲載された総勢12人の『プレイメイト・オブ・ザ・マンス』の中から1名が、翌年の『プレイメイト・オブ・ザ・イヤー』(Playmate of the Year、略称PMOY)に選出されます。『プレイメイト・オブ・ザ・マンス』の報酬は2万5000米ドルで、『プレイメイト・オブ・ザ・イヤー』に選ばれると10万米ドルの追加報酬と自動車が贈られます。

このほかに、創刊5周年以後5年周期で『アニバーサリー・プレイメイト』(Anniversary Playmates)が選出されている。2006年9月時点で、『プレイメイト・オブ・ザ・マンス』を歴任した女性の数は635人になっています。

『PLAYBOY』は将来のプレイメイトとなりうる候補者の発掘に対して対価を出していて、本人以外が推薦した候補者がプレイメイトに選ばれた場合には、推薦者は仲介手数料として2500米ドルを手に入れることができます。ヒュー・ヘフナーと写真家たちはそれら候補者の中からプレイメイトを選出していきます。『プレイメイト・オブ・ザ・イヤー』はヒュー・ヘフナーが年間の読者投票を参考に独断で選出しています。

『PLAYBOY』は「一度プレイメイトになれば、永遠にプレイメイトであり続ける」(Once a Playmate, always a Playmate)という考えから、「元プレイメイト」というった表現は使っていません。

ギャラ

今月のプレイメイト(Playmate of the Month)

  • 1959年~1960年 ・・・$500
  • 1961年~1965年 ・・・$1,000
  • 1966年~1967年 ・・・$2,500
  • 1968年~1969年 ・・・$3,000
  • 1970年~1977年 ・・・$5,000
  • 1978年~1983年 ・・・$10,000
  • 1984年~1989年 ・・・$15,000
  • 1990年~現在 ・・・ $20,000

今年のプレイメイト(Playmate of the Year)

  • 1960年~1963年 ・・・$500とボーナス$250
  • 1982年~1997年 ・・・$100,000と自動車1台
腹が捩れる程笑いたい貴方へ…

プレイメイトの歴史

『PLAYBOY』第1号に主役として掲載されたのはマリリン・モンローでしたが、その肩書きは「今月の恋人」(Sweetheart of the Month)となっていて『プレイメイト』という名称はまだ存在していませんでした。『プレイメイト・オブ・ザ・マンス』と銘打たれた最初のモデルは『PLAYBOY』第2号に掲載されたミス1954年1月、マージー・ハリソンです。

基本的に、プレイメイトとして掲載される回数はモデル1名につき1回ですが、創刊初期には2回または3回『プレイメイト』を経験したモデルも存在しています。2回経験者はマージー・ハリソン(1954年1月・1954年6月)とマルグリット・エンペイ(1955年5月・1956年2月)の2名で、3回経験者はマーガレット・スコット(1954年2月・1954年4月・1955年4月、後の2回はマリリン・ウォルツ名義)とジャネット・ピルグリム(1955年7月・1955年12月・1956年10月)の2名になっています。

現在、多くの国家・地域では18歳未満の出演するポルノ画像は違法となっていますが、『PLAYBOY』が創刊されて間もない時代には未成年者に関する法律はまだ十分に整備されていなかったため、ナンシー・クロフォード(1959年4月)、ドナ・ミッチェル(1963年12月)、リンダ・ムーン(1966年10月)、テディ・スミス(1960年7月)らは17歳で、エリザベス・アン・ロバーツ(1958年1月)は16歳でプレイメイトとしての撮影に臨んでいました。この結果としてヒュー・ヘフナーとロバーツの母親は逮捕されましたが、エリザベスが母親の出演同意書を持っていたこともあって最終的に請求は棄却されました。より近年の例としては16歳で『PLAYBOY』ドイツ版の撮影に臨んだウルスラ・フェルネがいます。彼女は18歳で米国版(1979年10月)にも掲載されています。

『プレイメイト・オブ・ザ・イヤー』は各年5月にプレイボーイ・マンションにおけるメディア午餐会で発表されるのが慣習になっています。プレイメイト・オブ・ザ・イヤーとなったモデルは、その年の6月号または7月号で組まれる『プレイメイト・オブ・ザ・イヤー』特集のグラビアで大々的にフィーチャーされて、表紙も飾ります。しかし例外として2003年から2005年にかけての特集号の表紙はプレイメイトではなく、同じ号のセレブリティグラビアに登場しているセレブリティが掲載されました。

陰毛を見せた最初のプレイメイトはミス1971年1月のリヴ・リンデランドとして知られていますが、創刊初期の1956年(昭和31年)2月には自身2度目の登場となるマルグリット・エンペイがラス・メイヤー撮影の水中写真で陰毛を見せています。その当時は発行部数が少なかったため、この写真はリンデランドの写真のように一般に知れわたることはありませんでした。

陰毛を見せるプレイメイトは1970年代から1980年代にかけて増加傾向が続いていましたが、1980年代後半からは陰毛を剃毛して整える傾向が強まっていき、2001年(平成13年)9月のダレーン・カーティスはプレイメイトの歴史上初めて完全に1本の陰毛もない状態で掲載されました。1990年代からはへそピアスといったボディピアスや、タトゥーを体に施したプレイメイトの増加傾向も見られるようになっています。

過激な内容で話題のイギリスのコメディ映画を観た?!かなり強烈!!セレブだろうが政治家相手でも容赦なし!

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